2009年11月アーカイブ

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浜松にて第一回の一橋大学、東京工業大学の合同移動講座が開催されました。合同という意味では初めてだそうです。

一橋大学の移動講座は、年に2~3回でしょうか。数年前に、名古屋でも開催されまして、下っ端のわたしは、とりあえず打ち合わせに出席する。席に座っている。というお役にたたない役をいたしました。こういうときは、先輩方の機動力のすごさを見せつけられます。

なんていっても、人を集めなければいけません・・・。名古屋でも600~700名あつめたとか。

人を集めるってたいへんだなナーって、平成卒業生の集いで骨身にしみております。

さて、浜松で行われた移動講座ですが、河合先輩よりお願いのメールがきたくらいですが、蓋をあければ大盛会でした。会場はほぼ満員700名ぐらいは入っていたかと思います。

この講座の目的は・・・。

いかに優秀な子供にきてもらうか。

大学にとってとても大切なことのようです。

その割には、オッサン・・・いや、素敵なおじ様たちが参加者の98%ではあります。

大学関係者によると「おじいさん or おとうさんが or おじさんが、◎◎大学っていいところだといったから・・・この大学に決めましたー。」ってのもかなり決めてだそうで。

そういえば、一族が東大ばっかとか、医者ばっか・・・だとか。

こういうのは、親族が「ええぞー」って勧めるからなのかもしれません。

おじ様たちというのはけっこうあなどれません。

じつは、この開催日前日に38.5度の熱がでて、新型インフルエンザ?!であったら、公共の場に行くのはまずいかと思いましたが、如水会名古屋支部、平成卒業生の会、幹事長のスミノさんを脅して

「くるよねー。絶対。」

と言い放ってしまった経緯もあり・・・その言った本人が欠席はできません。

如水会の年齢層も高いことだし・・・・。(免疫もってそう)

熱もさがったし・・・・(ってか、計るのこわくてはかってないで出発)

浜松にいってきました。

しかし、あまりにしんどかったので、講座後半のパネルディスカッションから出席。

わたしが一番興味があったのは、パネラーの一人の、スズキ自動車 鈴木修氏。

「俺は、中小企業のおやじ」という著書があるのは知っていましたが、予習していかなかったのが、とても残念・・・。なぜって、鈴木修氏が懇親会にも出席されて。どさくさにまぎれて、お名刺交換できてしまったのです。

ひょぁ~~~~~~~~~~。(歓喜のおたけび)

経済界著名人ミーハーのわたくしとしては、思わぬ収穫(名刺をGET)でした。

自慢ですけどっ。

仙台の移動講座では、トヨタ自動車の奥田氏にも名刺交換してお話してしまったぞ。

まあ、名刺交換だけなんですけど・・・そのあと、何かあるわけではないが。
また、あちらがわたしを覚えていてくれるかというと。100%ない。(笑)

ただ、一瞬でも同じ場にいられる・・・ということが喜ばしいのです。

相手は超有名企業のトップ。
その薫陶をうけて、「わたしも明日から、ますます頑張って、あんな人になれるくらい一生懸命仕事しよう!!!!」って思う。

それが、人と交わっていくことの意義ではありませんか・・・。

一橋大学の杉山学長もいっておられましたが、大学に行く意義は、もちろん勉強するためにということもあるが、そこにきている、先生、クラスメイト、先輩、後輩。「この人ってすごいな。オレもこんなふうになりたい。」と思える人に巡り合うことだという。

それにしても・・・一橋大学もずいぶん様変わりし・・・・生徒を放し飼いにしていたころ(私が在籍していたころ)とはうってかわって、生徒のクオリティー保証します的な教育に励んでいるそう。

ほんと、すいません(笑)
勉強しなくて卒業してしまいました。 

杉山学長いわく、「均一的であるということは、突拍子もない「すごいもの」(カスも含む)は出てこなくなるのではないかな~」。と、ちょっとコメントされましたが・・・。その危惧は、あると思います。

まあ、変なヤツは出てこなくなるでしょう。

というわけで、この写真を掲載するのも・・・・・はばかられますが、政治界の異端児、河村たかし先輩も懇親会にいらしておりました。

 

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★(本日の)心に響いたひとこと★

 

「20年もたてば常識は変わる」 スズキ自動車 鈴木修氏

ちょっと前までは大きいことはいいことだ、ゴージャスだ・・・という風潮だったけど、今となってはsmall is smart 賢いことだとされている。軽自動車のスズキに追い風がふいているわけです。

時代を見据えるってたいへんだなーというのと、あと20年もすれば、常識が変わる!!もしかしたら、自分の考えている以上にすごい可能性があるかもしれない。と思うと勇気百倍です。

 

 

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名古屋如水会のサノちゃんウォッチャーへ

 

 毎度このブログを読んで下さり、ありがとうございます。

ご存じの通り、このブログを管理・執筆しているのはサノちゃん(平4経)なのですが、さすがに本人が自分のことを報告するのは抵抗があるでしょうから、私が発表させて頂きます。彼女の辞書にも「恥じらい」の文字はあるのです。絶対。 ・・・・いや、たぶん。

                     (以前、どこかで似たような前置きを書いた気が・・・・?)

 

 さて、去る10月31日(土)、「如水会 平成卒業生の会(関西)」が主催する自己研鑽塾において、サノちゃんの講演会が開催されました。

「なぬっ!サノちゃんが講師?? 聞いてないよォ!」とおっしゃるダチョウ倶楽部な方々には、ホンマごめんなさい。このブログや支部のホームページでは 一切案内をしませんでした。(ただし、mixiのコミュニティで宣伝しましたので、御存知の方もいらっしゃるはずです。)

                          クリックすると如水会名古屋支部@mixiへ。

 

 何を隠そう、サノちゃんは かつて 名古屋支部の例会でも講師を務めたことがあります。そして、その講演を聴いた支部会員の中には、感動のあまり涙を流す人もいたという噂。私は当時バリバリの幽霊会員だったので、その例会をブッチしてしまいましたが、「感動?涙?・・・マジ!?」と噂の真偽を確かめるべく、今回は はるばる大阪まで足を運んで聴いてきました。

 

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  演題は、「いにしへの美を蘇らせる~英国で見つけたOnly Oneのワタシ」。

大学卒業後に英国へ渡り、天職と呼べる陶磁器修復の技術を身につけた サノちゃんの半生を拝聴しました。しかし随分苦労したんですなァ・・・・。

「帰って来い」と言う親御さんに逆らって英国に留まり、仕送りを止められて貧乏生活に。異国の地で貧乏暮らしというと『母をたずねて三千里』のマルコを彷彿させますが、サノちゃんの場合は英国の居住者保護法を盾に「家賃なら払えん!」と大家さんに宣言するなど  『ナニワ金融道』的な要素も含んでいました(困った大家さんは彼女に日本人家庭教師の仕事を紹介したようです)。

いわば、たくましい生活力を持った女性が主人公のサバイバルストーリー。タイトルをつけるなら「小公女セーラ」をモジって「交渉女サーノ」ってとこでしょうか。

 

 講演内容(というか、サノちゃんの半生)が気になる方は、『HQ 2009年夏号』(pdf)をチェックしましょう。彼女の英国での奮闘生活が垣間見えるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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